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2006年8月

第一回投票箱の結果

第一回目の投票箱の結果発表で~す。

質問は「夏休みにどこへ行く?」
12人の方からの回答がありました。

     海に行く 33%
     山に行く  8%
おうちでゴロゴロ 58%

ほとんどの人が、おうちで涼んでいたようですね。そして、海。日に真っ黒に焼けたんでしようね。

ということで、ただいま2回目の投票をしています。

今度のお題は、「地震の時、あなたが手にするものは?」選択肢は4つです。

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いざというとき、持っていくものは

9月1日、防災の日が近づいていますが・・・。以前、山賀さんが病院にお勤めしていたときの話です。

多くの患者さんを抱える病院ですから、年に一度、避難訓練があります。山賀さんの部署は、患者さんの食事面を支えるところ。いざその時には、どの患者さんにどのような食事を出していたか、食事指導ではどのような指導をしていたか・・・と、患者さんに関わる重要なものをもって逃げなくてはなりません。

当時、給食のリーダーをしていた山賀さんは、聞きました。
「いざというとき、持って逃げるものは?」
「はい、命でぇ~す。」

(^^;)あっあのねえ。そりゃ、たしかにそうだけど・・・。

で、これには後日談があります。訓練の当日。病院の中庭に、書類の綴りを抱えて避難終了。点呼をしたのですが、「命」と叫んだ彼女がいません。ひぇ~(@_@)
「しげちゃんはどうした。どこにいる。」
「はい、先輩。逃げ遅れた模様です。」
???(*_*)???

「命」と答えた彼女は、緊急入院の患者さんの食事オーダーの電話をとっていました。
本との火事じゃなくて良かったね。

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投票箱をGet!

投票箱をもらいました。
Annis Garten内に設置しましたので、よろしければ投票してってくださいね。

ちなみに山賀さんは、山へ行きます。

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夏だ、甲子園だ、がんばれ

もう、10年くらい前でしょうか。ひと味違った夏の高校野球観戦をしました。

というのも、かつてのアルバイト先(塾)の教え子が選手として出場したのです。彼が中学三年の時でした。

「僕ね、甲子園に行きたいんだ。高校は、だから、野球推薦ではいるつもりなんだけど…。」
といって、彼があげた候補はどこも甲子園に名を連ねる常連校。高校に入ってからも、レギュラーを勝ち取れるかどうか。

それでも、彼はそのうちのいっこうに野球推薦で入学しました。そして、高校三年の夏、甲子園出場を果たしたのです。新聞でその学校の名を見つけて、すぐにメンバーを…、あっ、あった、あった。

優勝は逃したものの、結構勝ち進みました。その時のビデオはまだ残っています。今はどうしているかな。きっともう、いいパパになって、お子さんとキャッチボールをしてるんだなと想像しています。

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ところで、お知らせです。山賀さんは今週夏休みです。記事の更新ができなくなりますが、お許し下さい。なお、コメント、トラバは、残念ながら迷惑千万な人たちがいるために、すぐに公開しない状態になっています。せっかく書いたのに、表示されない…、と怒らないでね。(*^_^*)

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今日という日

8月6日 世界で初めて原子爆弾が落とされた日として記憶されています。

私は、広島には行ったことがないのですが、高校の修学旅行で、長崎の原爆資料館に行きました。壁や、雨戸に写った人の影が一番ショックだったことを覚えています。だって、一瞬にして、そこにいる人がいなくなってしまうなんて…。

私の通っていた高校では、修学旅行の時にテーマを決めて調べ、現地で実際に見て、旅行から帰ってからレポートを出す、ということをしていました。(ちなみに、山賀さんは「九州の自然-火山について」という題で書きました。)

友達の中に「長崎の原爆について」をテーマにした人がいます。しかし、彼女も、資料館でのあまりの生々しい証拠、証言にショックを受けたそうです。資料館で買った「資料集」も、自分の部屋で、夜一人で開くのがとても怖かったといっていました。こんなことを書くと、被爆者の人には失礼かもしれませんが、それが彼女の素直な実感でした。でも、彼女はちゃんとレポートを書いたんですよ。

わたしたちは、原爆のあまりの悲惨さにびっくりしますけれど、その後、私は、日本がアジアの国々で何をしてきたのかを知らされてもっとびっくりしました。
何年か前、フィリピン、ミンダナオ島の少数民族の村に保健プログラムの見学に行ったのですが、ちょうど8月15日よる、「自分のおじいさんは日本の兵隊に殺された」という青年と話をしました。
いや~、ほんと~に、ことばを失いました。私のおじいちゃんは兵隊で外地に行くことがなかったのですが、「関係ないわ」なんていっていられないのです。でも、そういう人たちがなんて言ったと思います。

彼はいいました。
「歴史の事実は、事実として、しっかりと知らなければいけないよ。そして、その上で、僕たちは平和な世界を作らなくてはいけないんだ。」

フィリピンの山奥、少数民族の人たちは、今でも様々な困難を強いられています。それなのに、平和を願い、少しずつでも世界を良くしていこうと、諦めずに努力を続けているのです。だから、私も、諦めないで、できることからしていきたいなと思いました。

私にできること。無駄遣いをしないこと。好き嫌いをしないこと。人を傷つけることばや行動をしないこと。

こういう小さな努力は、政治家や時の権力者のちょっとした気まぐれで、無に帰することが多いのです。でも、私は諦めないで続けたいなと思っています。

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