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学校ばかりが教育の場じゃない

教育基本法改正。何でこんなにあっさり通ちゃったのかな。国会のやりとりを聴いていても、なんかうやむやのうちに多数決で決めちまった・・・、という感がぬぐえません。

「国を愛する」という言葉は、私には色あせて見えるのです。

今まで、いろいろな国に行きました。ヨーロッパでは少し長く暮らしました。いろいろな国の人たちと会い、話、笑ったり、怒ったり、助けてもらったり、助けたりしてきたわけですが、その経験からは、一人一人が○○人というアイデンティティと、教育基本法にもられている「愛国心」は繋がらないように思えるのです。
どういったらいいのでしょうか。なにか、この「国を愛する心」には利己的な、他を退けて止まない力を感じて仕方ありません。

今、1日もかけずに世界のどこへでも行くことができます。インターネットでは瞬時にして、地球の裏側の友達とも話をすることができます。私の友人の中には、国際結婚をしてむしろ「国際人」としてのアイデンティティを持っている人たちも多いのです。

もちろん、それぞれの国が伝統的に培ってきたものを大切にすることも良いことですが、真の平和は、愛国心の名の下に他を廃することではないはずです。平和のためには、時には、自国を捨てることも辞さないときがあるでしょう。

それと気になるのが「伝統文化」です。私の学区では「伝統文化の継承」と称して、地域のお祭りが子供会によって支えられています。神社はなんの疑いもなく、公的な機関である学校を利用しているのです。これが、たとえばキリスト教会が何かをするとなれば、100%、たたきつぶされます。学校教育の場に特定の宗教を持ち込むべきではない・・・と。

さてさて、これからの子供たちはどうなっていくのでしょうか。しかし、学校ばかりが教育の場ではないじゃん!と思うのです。

たとえば、私は、今の文科省がおしているような日の丸・君が代の扱いには反対の立場です。そんな親を見て、子供たちは「卒業式どうするの」と言います。すでに、大きな声で君が代を歌うようにと、かなり厳しく指導されているようなのです。私は言いました。

歌ってもかまわない。むしろ、歌わなければ先生に迷惑かけちゃうでしょ。でも、君が代が何を意味しているのか、卒業式に於いて、日の丸がどのような扱いをされているのか、それはどのような考えによって強いられているのかをよく見て考えなさい。あなたの心まで、特定の色で塗りつぶされてはいけないと。学校の先生の話、教会書にかれていることだけではなくて、いろいろな国の人の話、いろいろな国の人が書いた本、いろいろな立場の人の話から、よく学べと。

教育は、確かに、子供たちの心を一色に塗りつぶしてしまう力を持っています。それは、過去の大戦で経験済みのことです。その過ちを、繰り返しちゃいけない。

国を愛することよりも、人を愛すること、敵を愛することが大切です。
美しい国を作ることを目指すよりも、汗だくになって人と力を合わせることを目指したいです。
そして、子供たちには、高い学力よりも、学んだことを生かす力を引き出してあげたいです。自分一人が安泰な生活を送るためではなくて、周りの人たちと、大切な物を造り上げていくために。

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